人生は無い
言葉について最近思う。
ホントはこんなに言葉は必要なかったのではないかと。
別の言い方をすると、僕の辞書ではいくつも言葉を減らせそうだぞ、と思った。
言葉がなければ、幸せになる人沢山いるね。
怒る人も多い。
だから言葉で物事人をなんとかしてしまう人がいて、それで参っている人もいて。
極端に考えれば、言葉は有効に使うことも悪用することもできる。
いきなりサビからみたいな入り。
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それで、例えば、人生という言葉なんて無いのかもなと。
またはいらないのかもなと。
というか人生という言葉の概念が、今は原型ではなくなっていないかな?と。
人生なんて概念は現実世界には無い脳内バーチャル世界の言葉or人生とは、行きていて今日がある、なのでは?のように思えた。
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人生とは、生きていて今日がある事、の方が好きで。
そこから伸ばしていくと、幸せとは、行きていて今日がある事に加えて、明日も生きる準備はあると思えている事、かなと思えるからそっちの方が好きで。
そうなっちゃえばみんなして、世の中はいいところに成る。
基本この世は底辺から始まるよりかは、僕は好き。
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それ考えながら歩いていたら。
余計に喋らない方が幸せだなと思えてきた。
余計に喋らない。
余計に聞かない。
余計に見ない。
その方が逆効果の言葉や視覚を受け取らない分、自分の中の、生きていて今日があり明日も生きる準備があると思えている事が揺るぎなくなる気がする。
三猿の事だし、逆効果の部分を切り取れば、ガンディーの三猿だと思うし。
それでね、失礼だけども。
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僕は釣りが趣味ですが。
釣りは自然から学ぶ。
言葉にしてみるとすごく当たり前なのだけれども、趣味でやってみるとこれは難しいとか才能次第と諦めている人とかは当たり前のようにいる、気づいていない人はもっといる。
だけど、図々しく言わせてもらえば、僕は釣りは自然から学んでいる。
他者を追っていないし人間のフォーマットは釣りとは別枠で扱っている。
自然から学んでいる事を意識していくと、、
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釣りに限らなかった。
なんでもそうだった。
経済の動きも、時流も、一般に使われる人生という言葉に対しても、自然から学んでいけば大枠で捉えられてヨミができる。
動物たちは皆天才。
人間だけが大部分天才でない、なんて言っている。
天才でない理由は、言葉が奪っていると理解できた。
言葉の悪い面に影響を受けていると。
自然からでなく周りの人から学んでいるから。
言葉や結果にしてもらったら簡単だもんね。
というか、言葉とは結果のようで、思考がまとまった先が言葉だし。
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天才てなんだろうと考えると。
自分を活かしている事なのだと思う、実は。
例えば、運動神経がいいけど背が小さく考えてジョッキーだと思ったとか。
自分を活かす事にさらに加えると、余計な事をしていない、物事を削り落としてそれにフォーカスしている、と思う。
特別な才能はないからひたすらやるだけで、それだけにしてきたから、だとか。
だから野生の動物たちは、生き残っている限り皆天才。
自然から学んで、その通りにやれ始めると、自分でもどこに進んでいくのかわからないけれど、毎日のように変化している。
毎日毎日違う日だからだ。
違いすぎるから、それに則しているだけ。
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だから自然から学び自然に則していたら、天才しかないのだから天才の概念もなく。
自分を活かしていく事が出来るんだから今日明日問題で、長い人生て、、なんて概念もなく。
人生なんて言葉、ホントはなかったんじゃないのかな? なんて思った。
というか、他者が言う言葉で自発にはない言葉とかかも。
なんにしても、自分で自分の人生は…なんて落ちて自滅してたら、人生なんて言葉、概念なんてなかった方がイキイキしてる。
言葉がなければ良くなる人もいそうだ、極端だけど。
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なので促しだらけの場面には、少し離れて。
落ち着けるし、そうしていく。
モデルケースよりも、直感。
直感とは思考がオートマチック化し考える事なくやれる状態だと思っている。
だから、知識を得る事のもっと先に、落ち着きがあると思う。
そうやって少しずつ少しずつ、言葉を使わないでも済むように進んでいったら。
すごいのだよね。
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